慰みの月と共に




 今、何と言った。思考が一瞬停止する。

 それを表情から読み取ったのだろうか、それとも絶望の淵に立ちながらも、往生際が悪く瀬にしがみつき続ける私に追い討ちをかけようとしたのだろうか。彼は、もう一度ゆっくりと言い聞かせるように、繰り返した。

「奴を、殺して来い」

 奴?なぜ慰月(いつき)のことを奴と呼ぶのだろう。みんなそうだ。一人として、彼の名を口にしない。くだらない迷信に取り付かれて、彼を追放した挙句(あげく)、今度は殺して来いと?

 確かに、慰月は強い。もし伝説が本当なら、この国の人間全てを殺すくらい簡単かもしれない。

 だが、なぜ殺さねばならないんだろう。よりによって私が。

 確かに私は、慰月と互角に戦えるかもしれない。危険因子(きけんいんし)を今のうちに消しておきたいというのなら、今私を向かわせるのが一番いいだろう。

 しかし、慰月は私の大切な戦友であり、親友であり、最初で最後の理解者だ。その慰月を、他ならぬ私の手で、しかも先の戦いで彼が傷つき、憔悴(しょうすい)しているであろう今、殺せというのか?

 私の言葉は聞き入れられなかった。当然だろう。私がなぜ拒むのか理解できないに違いない。わざわざ相手が回復するまで待ってから、殺されにいけと、いわれたかったのか。と訝しむような眼つきでいわれ、断るわけにはいかなくなった。

 そうだ、と答えるわけにはいかないことくらい私にも分かる。正々堂々戦いたいなんていっても、頭がおかしいと思われるのが、オチだ。
 どちらにしろ、私に拒否権など無かった。

 今まで、手入れを欠かさなかった武器が、彼を殺すため道具となる。彼と共に戦い、共に生き延びてきた武器だ。そして、彼を守る為にと思い、武術の腕を磨いてきたのにその努力も無駄だったわけだ。どんなに、力を身につけても出世したとしても、国の人間全ての意志に、反する勇気は私には無い。それはこの国の人間全てを敵に回すのと同じことだから。

 慰月、私は強くなれない。慰月にように強く生きていくことは出来ないよ。

 荷物は武器と僅かな食料。人々は私のことを讃えた。闇を倒す英雄だと、私の意識を鼓舞しようと、あの男が命じたのだろう。闇を倒す≠セと、笑わせてくれる。人々の不満をぶつける為に、悪党に仕立て上げられた罪無き人を殺し≠ノいくんだよ。
 熱狂する人々。彼らの声が、何所か物凄く遠いところから響いているような気がした。

 自分と彼らの間には、何か厚い隔たりがある。

 彼らの声が、心に重く圧し掛かる。彼らの願いは慰月が消えること。私の願いは慰月が生きること。

 この、苦しみからどうやって抜け出せばいい。どうやったら、この重く圧し掛かる悲しみは軽くなる。

 私は溜息をついて、馬に跨(またが)った。悩んでも仕方が無いか。どうせ悩んでも意味が無いのだ。ならば、思考など消してしまえばいい。

 明日、日が落ちる頃になれば、全てが終わっている。どんな形にせよ。

 何をどうやったのだろう。彼は町から一日足らずのところに、城を構えていた。一夜のうちにその城はあった。そして、彼はたった一人で、何千人もの兵士と戦ったのだ。

 闇を切り取ったかのような、漆黒の城。まるで、自分が闇の申し子と疎まれていることを知っているかのように、彼の城は黒い。

 馬を近くに止めて、漆黒の城の漆黒の門の前に立つ。

 こっそり侵入しようなどとは、思わない。そんな小細工は無駄だ。彼は強い。恐らく、私は絶対に敵わない。

 彼がいまどんなに疲れて傷ついた状態だったとしても、今の自分ではけして敵わないだろう。

 この漆黒の城を作り上げたのは他ならぬ慰月自身。その強大な力。私に敵うわけが無い。

 門がゆっくりと開いていく。黒い城の材質が気になりよく見てみると、僅かに透ける真っ黒い石の様なもので出来ていると、分かった。いや、石などではない。これは闇で出来ているのだろう。

 それが意味する事は、私がもう戻れないということ。彼が、伝説が本当に成ってしまったら、彼を殺すしかない。

(まぁ・・・、それより前に、一人であれだけの人数を迎え撃った時点で、普通じゃないんだが)

 門を潜ろうとしたのだが、次の一歩が踏み出せない。ここまで来て、自分が何をしたいのかわからなくなってしまった。

 一体、私は何をしにここに来たのだろう。慰月は、もう闇の申し子であることは、確実だ。本人もそれを自覚しているからこそ、こんな近い場所に城を建てたのだろう。

 なら、私は命に従って、慰月を殺すしかない。ここに来るまで、彼はまだ引き返せると信じてここまで来た。彼が、国に戻れるようになればいいと。

 だが、彼はもう戻れないと思ってしまった今、私は彼を躊躇(ためら)いも無く殺せるだろうか。ここに来るまでに既にためらいがあった私に、彼を殺すことなんて、多分出来ない。

 でも・・・ここで止まる訳にはいかないんだ。

 国の為に。

 慰月の為に。

 そして、私自身のためにも。

 門を潜ると、いきなり目の前に黒い闇が、沸いてきた。まるで、私が入ってくるのを、待ち構えていたかのように。

 恐怖で身体が強張る。

 分かっていたことだが、いざ目の当たりにすると、恐怖を覚えずには入られない。慰月は本当に、伝説の中の闇になってしまったと目の前に突きつけられた。お前は遠い。

 私は、慰月には届かない。

 闇が、次第に形を取る。

 慰月。

 そこに立っていたのは、慰月だった。

 国を追放されたときから、ちっとも変わらない。あの時のままの慰月。

 闇を纏(まと)いし、闇の申し子。

 国を滅ぼし、世界を闇へと誘(いざな)う。

 この国を、全ての人間を、破滅へと導く物。

 ゆっくりと目を閉じる。

 普段の戦いなら、こんなことは許されない。目を閉じた瞬間に死んでいる。だが、目の前に居るのは慰月だ。彼はきっと私が剣を抜くまで攻撃してきたりしない。

 心を落ち着かせる。いや、慰月は前こういっていた。この状態のとき私は別人だと。心無きまるで伝説の闇の申し子≠ンたいだと。

 立場は逆転したが、今でもきっとそれは変わらないはずだ。

「国の命により、処刑しに来た」

 真っ直ぐに、目を見ることなど出来なかった。目を少し伏せ、彼の足の動き手の動きに意識を集中させる。

 私はもう、迷わない。心を決めたらたとえどんな人間でも、殺すまでだ。

 慰月は何も言わなかった。ただ、手の動きと音で、彼が剣を抜いたのが分かった。再び足元から闇が溢れる。ただし、私の足元からもだ。

 闇に包まれ、気が付くと先ほど場所とは違うところに移動していた。闇で出来ている城の最上階らしい。窓の外から見える景色は、私がかなり高い位置にいることを告げている。

 凄いな・・・こんな城を一晩で造ったなんて。

 城の中は、必要な物以外一切無くみな一様に黒いが、それが慰月らしいといえば慰月らしい。

 勝てる見込みは皆無。

 だが、帰るつもりも慰月の仲間になるつもりも皆無だ。

 私は顔を上げ、慰月を正面から見据えた。

 静かな、闇との戦いが始まった。





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 戒(かい)が・・・来た。特に驚きがあったわけでもなかった。

 自分と互角に戦えるのは、そして近付く前に殺されないのは、戒くらいだろう。

 久しぶりに見た戒は、全く変わっていなかった。だから、期待してしまった。

 何を望んでいたかは、わからない。自分と同じ道に入って、苦しんで欲しいわけではない。だが、勿論(もちろん)殺して欲しいわけでもない。自殺願望を持っているのなら、こんな城を構える必要も無い。ただ、戒なら自分の望む答えをいってくれる気がしていた。 その望みも、無残に打ち砕かれたわけだが。

 戒が放った言葉は、自分が望んでいた物ではなかった。

 俺を、殺しに処刑しに来た。

 そう言い放った戒は、俺と目を合わせようとはしなかった。ここでは邪魔が入るかもしれない。周囲の森には、数人の人の気配がする。

 戒は気付いていないらしい。よっぽど動揺しているのか、そうでなければ、俺を殺すことに集中しているのか。

 その答えを否定したがっている自分がいて、その答えを出すまでに少し、間があった。

 ここで迷っても意味は無い。お互い相手のことは良く知っているつもりだ。戒はきっと一対一の戦いを望んでここに来ているはず。俺もあの弓をもったこそこそした人間に、邪魔をされたくは無い。場所を移動しよう。城の中の最上階。誰も立ち入れぬ部屋に。

 抜刀すると、戒が少し腕の筋肉を緊張させた。切りかかってくると、思ったのだろう。そんなことしなくても、顔を見ればそんな気が無いことは、すぐにわかっただろう。だが、顔を、あの、いつもどおりの、鳶色(とびいろ)の暖かい瞳を見てしまったら、自分は果たして平静を保てただろうか。

 闇を使って戒を運ぶとき、もっと抵抗されるかと思ったが、すんなりと闇に包まれてくれた。その態度が、気に掛かる。戒はちょっとのことで喚いたりするほうではなかったけど、自分のように感情を全く表に出さない人間では無い筈だし、人並みに驚く。何が心のうちで起こっているのか、わからない。知りたいとも思った。

 皮肉なことに、こんな形でしか合えなくなってから、初めて戒のことが気に掛かるようになった。それ以前も全く気にかけていないわけではなかったしかし、今ほど何を考えているのか、気に掛かるようなこともなかったし、何かを戒に期待したことも無かった。

 戒は、少し驚いたように、窓の外の景色を見つめていた。だが、その驚きが薄くて、何故だか無性(むしょう)に寂しくなった。変わってしまった。戒も俺も。俺は存在≠ェ、戒は心≠ェ変わってしまった。

 戒が、俺を見つめていた。

 その瞳は、城の入口にいたときのものとは、きっと違う。今の戒の瞳には、感情の色が無い。まるで人形のように。普段は、外れ物の自分に優しく接してくれていた戒が、まるで遠くに行ってしまったかのように、今の戒は無感情。

 嫌だ。そんな目で、俺を見るな。鳶色の瞳は、いまや無機質な物に変わってしまったように思えた。鳶色ではなくただの茶色。

 瞳の色に、暖かい冷たいがあるわけが無い。無感動な瞳が、そういっているようだった。

 その瞳に、追い立てられるように、俺は床を蹴った。その瞳をしていてくれてよかった。おかげで戒を斬ることを躊躇(ためら)わずに済む。この心の内に潜む恐怖を戒は知らない。

 幼い頃から、闇の申し子として怖れられてきた自分に向けられる、鳶色の暖かい瞳が、どれほど嬉しかったことか。そして、人をきるときの冷たい瞳が、どれほど俺に恐怖を与えたことか。

 唯一自分に優しくしてくれた人間すら、消えてしまう気がした。

 その瞳が恐いから、俺は殺せる。躊躇(ためら)い無く。たとえ、それが彼女だったとしても、あの瞳から逃れるためなら。





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 冷たい壁に叩きつけられた。

 素早く起き上がろうとするが、恐ろしく冷たい瞳で慰月(いつき)は私を睨(ね)めつけていた。黒い気が彼の身体から、ゆらりと立ち上る。

 その時、私のうちにあった感情は恐怖だったのだろうか。

 無我夢中で、剣を探そうと手を伸ばしたが、途中で諦めた。剣は既に折られ、そこかしこに仕込んでおいた武器も、ことごとく破壊されてしまった。

 そして、何より喉元に押し付けられた剣が、それを許さなかった。諦めとともに、心に浮かんだのは安堵に近い気持ちだった。

 そして、慰月は私の感情を排除したこの瞳が嫌いだったと思い出す。そういえば、そういう意味では、まだ一回も慰月の顔をまともに見ていなかった。

 普段の自分に戻って、慰月の漆黒の瞳を真っ直ぐに見つめると、彼は初めて瞳に逡巡(しゅんじゅん)の色を浮かべた。

 不思議な気分だ。

 完全武装していた、始めのときよりも今のほうが、慰月に感じる怖れは少ない。むしろ今のほうが、自分が言いたいことをはっきりと伝えられる気がする。

 こうして、喉に刃物を突きつけられ、絶対絶命の私が、こんなにも安らかな気持ちでいるのに、慰月はここに来て私を斬ることを躊躇っている。私にたいして、恐怖に近い感情を持っているようにも見える。

「・・・慰月」

 そっと名を呼ぶと、傍目に分かるほど、彼の持つ剣が、震えた。動揺しているのが瞳を覗き込む私にも見える。

「慰月」

「煩いっ!」

 鋭く、慰月は言い放った。だが、その瞳は今にも泣き出しそうだった。

「慰月」 

 私はただ、馬鹿のように慰月の名を繰り返して呼んだ。

「なんなんだ・・・一体」

 消え入りそうな声で、慰月は言った。二人しかいない空間で、その声は良く響いた。きっと慰月は聞いて欲しくなかったのかも知れないが、しっかりと聞こえてしまった。

「何でいきなり、そんな目で俺を見る。お前が、感情なんて無いままだったら、殺すことが・・・出来たのに」

 ふらふらと慰月は後退る。その足元に、剣が落ちた。そのまま尻餅をつき顔を両手で覆う。彼が泣いていると気が付いたのは、彼の声が震えていたからだ。いままで感情を殆ど表に出さなかったのに。

「お前の、あの目が・・・俺は嫌いなんだよ。心が無いみたいに、冷たい瞳が・・・嫌なんだよ。あのまま、殺そうと思ってたのに、あのまま迷い無く殺そうと思ってたのに」

 駄々をこねる子供のように、冷たい床に座り込んだまま、慰月は嗚咽(おえつ)を漏らしていた。彼が、私が仕事をするときの感情を押し殺した瞳が嫌いなことは知っていた。だが、慰月は嫌い≠ネのではなく、恐怖を覚えていたのではないだろうか、そんな気がしてならない。

「慰月」

 再び、私が出来る限りの優しさを込めて名を呼ぶと、慰月は顔をあげてくれた。彼が、こんなにも幼く見えたのは初めてかもしれない。

 この言葉が、出てくるのに随分時間が掛かった。遅くなってしまったが、伝えなければならない。慰月に、そして自分自身に。

「一緒にかえろう」

 慰みの月。

 それが、彼につけられた名前だった。暗闇の中浮かび上がる月は、そこにあるだけで慰めとなる。それは彼に掛けられた両親の願いだった。でもそれは消して叶わぬ願いでもあった。
 
 だから、彼女は戒(かい)と名づけられた。闇に染まろうとする月の、戒(いまし)めとなるように。
 そのことを知ったのは、慰月に出会う随分前で、慰月にあうころにはすっかり忘れていた。

 なぜ、闇に染まることを留めるのが、戒めなのか、当時は良く分からなかったが、今なら分かる気がする。

 慰月の故郷は闇であり、闇なしで生きていけない存在が慰月だ。太陽の下では月が美しく輝けないのと同じ様に。

 だが、それでも彼を、闇に送るわけにはいかなかったのだ。国を滅ぼすためなど関係なく、慰月に傍にいてほしかったから。





 たとえ、戒めになろうとも、私は彼と共にいる。慰みの月とともに。













―了―




望月 鏡翠様に差し上げた短編のお礼にこんなに素敵な小説を頂いてしまいました……!
私の小説が釣り合うのかどうか不安な所でございます……。
ほ、本当に頂いてしまって宜しかったのでしょうか!?

小説ですが、設定がすごく私好みで「闇」は私が書いているとある小説のテーマにもなっていますので
こればかり何度も読み返してしまいました。
設定も細かく作りこまれ、とても素晴らしい物語でした!
素敵小説、本当にありがとうございました!
 




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