桜のように
「綾(あや)、お花見行こうよ」
そう誘ってくれたのは親友の実紗(みさ)。
「お花見……?」
突然の誘いに私は聞き返してしまった。
一瞬、違う言語に聞こえたみたいだった。
「そう。気分転換にお花見! 受験のストレスとか溜まってるでしょ? 色々さ」
語尾を意味ありげに強調してくる。
なんでそうからかうかな……。
そんなに面白い?
少し苛立ちを覚えながらも私はしぶしぶ頷いた。
この春で私たちは卒業。みんな離れ離れになる。
私たちの学校はこの辺りでも有名な進学校。毎日毎日勉強でどこかへ遊びに行く暇なんてなかったから、仲の良い友人たちだけで最初で最後の思い出を作るのも悪くない。
「来てくれるの!? やった! 綾が来なくちゃ始まらないんだから」
実紗はありがとうと付け加え、違う仲の良い友人を誘いに歩いていった。
小学校から連れ立っている親友の実紗の背を見ながら、私は少しだけ顔の筋肉が緩むのを感じた。
涙の卒業式から数日後。
私たちは母校の校庭に集まった。
実紗は在学中、生徒会活動などを進んで行う活発な子だったので顔広い。男女様々十数人。全員顔は知っているものの、あまり話したことの無い者もちらほら見られる。
「はーい、みんな。今日は一生の内にできるかできないかの学校でのお花見だよ! テキトーに楽しんじゃって! 先生には話つけてあるから」
集まった者たちの先頭に立った実紗のその一言を待ってましたと言わんばかりに男子たちが騒ぎ出す。女子たちもそれにつられてテンションが上がってきたみたい。皆それぞれに持ち寄った飲食物などを出し始める。
私も、端の方でのんびりと楽しもうかな……。
「綾! あーや! 何呆けてんの? ほら、私たちはこっち!」
「え?」
いつの間にか私のそばまで来ていた実紗が私の腕を引く。
「ちょっ……ちょっと実紗! そっちは……」
駄目だって!
言葉を出しかけて飲み込む。
私の言葉に反応して、実紗はぴたりと止まった。
「あんたねぇ……長年一緒にいた私が気づかなかったとでも思ってんの?」
実紗の言葉が理解できずに私は固まってしまった。
親友と目を合わせる事ができない。
「……ったく。だからあんたたちは……。とにかく、こっち!」
固まったままの私を引きずり、ここだ、と実紗は場所を確認し、自身が持ってきたビニールシートを敷いた。
「座ってみなよ。綺麗だよ、桜」
自分で敷いたビニールシートの上に腰掛け、隣をぺしぺしと叩く。
言われるがまま、実紗の隣に座る私。
桜の幹がすぐ近くにある。
この桜は校内で一番の長老桜。いつも春になるとその思いきり広げた腕にいっぱいの桜色をため込んでいる。
しかし、今春はそうもいかないみたい。長く続いた暖冬の影響だと思うけれど、フライングスタートを切った花々はもうラストスパートに入った模様で、ぱらぱら散る花も見られる。それが、私たちの門出を祝ってくれているみたいで……。
「……うん。綺麗」
私は皆がいる方はわざと見ずに頭上の長老桜の腕を見上げていた。
「……綾」
小さく呼ばれ、何、と返事をする間もなく実紗が私の視界に入ってきた。
「見てみなよ、あっち」
親友の指差す方には……。
「広也(ひろや)……」
そう。
私が一時でも彼しか見えない時期があった。
その時の、彼。
この長老桜の下で出会い、そして、私たちは散った。
桜と同じように。
「…………」
「綾が……付き合っていた事も別れた事も隠していたつもりだけどさ、私は全部分かってたんだ……」
確か、実紗はそう言った気がした。しかし、私はもう親友の言葉さえ耳に入っていなかった。
彼は私に気づかずに友人と楽しく談笑している。
ふざけあったり、まじめな話をしたり……。
彼のあんな表情は別れてから初めて見た気がする。
「……許してやりなよ……一年経つよ?」
楽しく笑って、時には怒った表情も……。
その表情は、もう私に向けられる事はもう……無い。
「……もう、無理はしなくていいと思うよ」
何も考えていないはずなのに視界が歪む。
瞬きをしても視界は戻らない。
目頭が熱い。
唐突に込み上げてきたものを抑える力は私にはなかった。
それに抗う術を持たない今の私は本能的に両手で目から零れた熱いものを拭い続ける。
歪んだ視界の中で淡い色の何かが横切る。
視界に舞っているのは淡い桜色。
「桜吹雪だ!」
誰かがそう言った気がした。
重たい頭を上へ持ち上げると、私の頭上の桜の花びらが舞い続けている。
「慰めて……くれてるみたい」
私の心を代弁したのは実紗。
ちらり、と私を見る。
「……うん」
頷いて、私は思いきり力を込めてまだ頬に残っている雫を払った。
「もう大丈夫」
親友に見えるように口の端を吊り上げる。
「ん」
実紗も満面の笑みを見せてくれた。
もう私は大丈夫。
振り返らない。
「ありがとう」
もう、私は振り返らない。