色の無い花見




 2丁目の桜は毎年花が咲かない。

 花をつける理由はただ一つ。

 それは、町内で人が死ぬとき。

 墓地に程近い丘にただ一本佇む桜の木は、一つ墓石が増える度にまるでその者の生気を吸い取ったかのように鮮やかな花弁をつける。





 桜の花には気をつけろ。

 

 それは町内の老若男女に伝えられる言葉。

 そして、今年も……。



「おい、2丁目の桜が咲いたらしいぞ」

 私の家の隣に住むおじさんはその隣に住むおばさんに話しかけている。

「えぇ! 本当? それは大変」

 おばさんは心底驚いたのか、少し顔が青ざめた。

「ここ最近は無かったからなぁ……どこの家だろうな」

「ええ、町内は元気なお子さんばかりですよ。病気を患っている方の噂も聞きませんし」

 おじさんとおばさんの深刻そうな会話を横目に、私は毎日通っていた学校へ向かう。

 桜が咲いたから人が亡くなるなんて有り得ない。

 昔から私の両親からも桜の花には気をつけろ、と私に言い続けていたけど、私は一度も信じたことなど無かった。

 昔の事を思い出して苛立ちながら歩を進めていくと程なくして我が校舎が見えてくる。

 2丁目の桜の影響で、学校では珍しく桜は植えていない。代わりかどうかは分からないが大量のイチョウの木が植えられ、秋には鮮やかな黄の縁取りをした澄み渡った空が鑑賞できる。

 校庭には休み時間か、サッカーをしている少年たちや日の当たる場所で談笑する少女たちがいる。

 いつもの、学校の風景だ。

 そう、いつもの……。

 私はどうにも居心地が悪くなってその場を後にした。

 次に向かうのは、その、桜。

 滅多に咲かない桜が咲いているのだから、折角なので花見でも。

 学校からそんなに遠くない場所に例の桜はある。

 住宅街を抜け、少し行くと田んぼがある。その奥に寺があり、寺が所有する墓地の中に満開の桜が佇んでいた。

 町の言い伝えと同様、古くから存在する桜の幹は太く、生命力あふれている。

 思い切り張り出した腕には淡い桜色のベールがかけられている。

 ……こんなに綺麗なのに誰も見に来ないなんて……。

 周りの草が鳴き、ベールの切れ端が風に乗って舞っていく。

 一人で、飲み物もなくお花見。

 幹の根元に体を預け、目の前に映るものだけを鑑賞する。

 不意に、誰も居ない空間に話し声が聞こえてきた。

 声から察するに、女性と男性。

「……この桜の所為で!」

 絞り出すように叫んだ女性は私……ではなく、この桜を睨み付けた。

 彼女の目は泣き腫らして真っ赤に腫れており、通常は丁寧に梳かされているはずの髪もぼさぼさで、隣の男性の支え無しでは立つことさえできないかのように生気がない。

 そして、この女性と男性を、私は……知っている。

「どうして……」

 女性はその場で泣き崩れてしまった。男性は女性を介抱するのに手一杯で私は見えていない様子。

「どうして……あの子が……早弥(さや)……」

 早弥。

 そう。

 私の……名前。

「早弥……」

 私の名前を連呼する母を見て、それから私は顔を上げて桜を見た。

 ……私、もう行かなければいけないみたい。

 最後に、幹に触れて、目を閉じる。



 もう、母の声は聞こえなかった。









 2丁目の桜は毎年花が咲かない。

 花をつける理由はただ一つ。

 それは、町内で人が死ぬとき。

 墓地に程近い丘にただ一本佇む桜の木は、一つ墓石が増える度にまるでその者の生気を吸い取ったかのように鮮やかな花弁をつける。



 ……その桜の花は死者に対する手向けの桜。

 これから逝きゆく者達の為だけの満開の花。

 そして、もう迷わないための道標。

 生きている者達には眩し過ぎるから。

 だから、咲く。

 人の最期を彩るために。














―了―
あとがき