そして世界は廻り出す
「……知ってる? 今年入った一年」
「知ってる知ってる。例のあの子でしょ?」
「なんであんな子がここに入れるんだろうね」
「さあ? 色々仕組んだんじゃないの? 「その」力でさ」
「かもね」
「きっとそうだよ」
「それにしても、怖いね。「あんな」力は……」
「先生はどう思ってるんだろう……」
「……という、時空に干渉するという観点から我々が治癒の術を使えない所以はここにあります。ご質問はありますか?」
レイストール=ミオネル魔導教諭は、薄水色に染まった長い髪に包まれた優しい青藍色の瞳を愛しい生徒達に向けた。
「……無いようですね。それでは、これで本日の授業を終了致します」
ふわりと微笑んで生徒達に目を向けると同時に、重厚な鐘の音が教室内に響き渡った。
鐘の音に反応して生徒たちが喜んで自分の机の上を片付け始める。
「皆さん、お気をつけてお帰り下さいね」
生徒達全員を見送るつもりで教壇の上に立ったままでいると一人の少女が近づいてきた。
「あら。アーベンツァインさん」
アーベンツァインと呼ばれた少女は今にも泣き出しそうに目を赤くしてレイストールを見た。
少女の持つ双眸は黒く、魔導の力が大きい事を意味する。そして、その黒き瞳を覆うように腰まで艶やかな黒髪が流れ、黒を持つ者が少ないこの場所では見る者を圧倒させる。
しかし今の彼女は他の人間など圧倒させる事など到底できないように落ち込んでいるのが誰が見ても分かる。
「レイン先生」
レイストールをレインと愛称で呼ぶ者は少ない。
この学園でもそう呼べる者は彼女本人に認められた片手で数え切れる程だ。
「あの……」
レイストールから目を逸らし、俯いて呟く。
そして、ちらりと講堂内を見た。
「……分かりました。場所を変えましょう。それでいいかしら、アーベンツァインさん?」
その生徒の思いを見て取ったのか、レイストールは自身の教材を抱え教壇を降りた。
「あ、あの……ここで大丈夫です!」
突然の大声にレイストールは少し驚き、その生徒を見る。
「あ……。すみません」
レイストールと視線が交わり、また俯く。
一連の行動を見、レイストールは微笑んで生徒の肩を撫でた。
「大丈夫? このままでも何なので、座りましょうか」
肩を撫でたその手で手近にあった椅子へ誘う。
そして自身も近くから椅子を寄せ、正面に座った。
最後の生徒が講堂を後にするまで待ち、レイストールは口を開く。
「アーベンツァインさん。……アーベンツァイン=リザクレトスさん」
フルネームで呼ばれ、俯いていた顔を上げる。
「いつも物静かな貴女がここまでして私の所まで来たのですもの。貴女がお話したいのは本日の講義の内容の事ではないかしら」
リザクレトスは無言でこくんと頷く。その拍子に漆黒を持つ長い髪が揺れ、一瞬陽の光を反射させた。
「……さっき、先生は」
「リズ」
柔らかな笑顔でリザクレトスの愛称を呼ぶ。
「リズ、自分の杖を呼んで御覧なさい」
レイストールが右手を胸の前で開くと白い光が生まれ、その手にはレイストールの腕ほどの長さの細い杖が現れた。
「…………」
何も言わずにレイストールと同じように手を空中にかざす。
「青い」光が煌めき、リザクレトスの手を二つ並べた程の長さの杖が現れた。
「この色が……」
忌々しそうに杖を眺め、杖を強く握る。
「あら。素敵な色だと思うわ。だって私たちには出せないものだもの」
「でも……」
レイストールの言葉に反応し顔を上げるが、彼女の笑顔を見て言葉を切った。
「リズ、聞いて」
椅子を降り、リザクレトスの足元に座り込んで下から見上げる。
「今日、私は確かに我々には治癒の術を使えないと言ったわ。それは、どんな大怪我でも一瞬で治すという術は人間の生の理から外れ、時空を曲げてしまうから。だから使えないの。勿論、講義でもお話ししたように一時的に傷の周りを活性化させて治りを早くする事はできるわ」
リザクレトスの手に自分の手を重ね、言い聞かせるように微笑む。
「レイン先生。でも、私は……」
手を添えられ、困ったように自身の手と教諭を交互に見た。
「そう。貴女は違うわ。貴女は世界に愛された子。この時空にも。その青き光が何よりの証拠」
レイストールが力をリザクレトスと共鳴させると二人の手が淡く青く光る。
「貴女はこの青い光でどんな大きな怪我でも一瞬にして治せる。そして、時空を渡る事ができる。だからこそ、疎まれ、蔑まれて来た。……でもねリズ。その力は疎まれる為に持って生まれたものではないでしょう? 貴女は世界に愛された子。だから貴女も世界を愛してあげなければ、ね?」
「世界を……? でも、私は望んで好かれている訳ではありません。いつも双黒とこの青い光で……」
少々ふくれ気味に答える。
思わず、レイストールの手を離してしまった。
困ったようにレイストールは言葉を繋いだ。
「貴女は今まで味方の少ない環境で育ってきたからそう思えるのね。味方は沢山いるわ。私達には分かる。世界は貴女を必要としているの」
ね、と笑いかけ、言葉を継ぐ。
「だから、今は辛いかもしれないけれど……自信を持って。折角の双黒が台無しよ?」
下から髪を一房つまみ、梳く。
レイストールの笑顔を見て、リザクレトスも小さく笑顔を作った。
「……はい」
「大丈夫。世界は貴女の味方だから。今はこの学園で貴女の味方がどれだけいるのかを知らなければいけないわね」
リザクレトスが頷いたのを確認し、ふわり、と笑い立ち上がる。
「さあ、もうしばらくで最終の鐘が鳴りますよ?」
「もうそんな時間ですか?」
驚いたように壁に掛けてある時計を見上げる。
慌てて荷物をつかみ、リザクレトスはレイストールの前に立った。
「レイン先生、お話ありがとうございました。私ももう少し……自分に自信を持ってみます」
大きく腰を折り曲げ、礼をする。そして背中の講堂の戸の方へ歩いていく。
先程までの赤い目はどこにもない。
レイストールの目には大きく一歩を踏み出すその背中しか映らない。
「世界はまだ弱い……。強くなるかどうかは私たちに掛かっているのね……」
その背中が消えた頃に一人ごち、レイストールの笑顔は消えた。
そして、誰もいなくなった教室には夕闇が訪れていた。