白いな。

そいつを見た時、俺はそう思った。

白いタキシード、白いシャツ、白いハット、白い靴……

とてもいい趣味だとは思えないコーディネート。

この刺す様な日差しの中、日の光を反射させて現れた一人の男は俺の前で立ち止まり、俺に敬意を表すかのように帽子を取って胸に当て、会釈をした。

礼儀正しい男に対して俺は、毎日の日課である散歩の途中で寄った小さな公園のベンチに背も肩も預け、顔に乗せた日よけ用の芸能週刊誌の隙間から目だけを男に向けた。

白いな。

この暑い日差しを直接その身に浴びているにも関わらず男の肌には汗のかけらも無く、その色は白を通り越え青白い。その上頭髪も昨今の日本社会に珍しく、黒を一切受け付けていない。

帽子を取ってまで挨拶を発した相手にこのままではまずい。

背骨を叱咤し、まっすぐベンチに座る。その拍子に週刊誌が膝の上に滑り落ちるが、すんでの所で右手が間に合った。

「初めまして」

 男が初めて口を開いた。口元はうっすらではあるが笑みが感じられる。

 何も考えず、反射的に会釈を返し、ベンチの隣を右手の週刊誌で指す。

「どうぞ。こんな暑い中、あなたみたいな人を立たせている悪人にはなりたくありませんので」

 我ながら最悪な第一印象である。

 病的に白い男の顔を見て俺は座るよう促してベンチの左にずれた。

「いえ。このままで」

 胸に当てている帽子を持っている手とは逆の手を振り、笑みをこぼす。

 そうですか、と俺も男から目を離した。

 瞬間、雑音が俺の鼓膜を震わせる。

 後ろから?

 音の源へ顔を向けると、蝉が大音量で自身をアピールしている。

 もうこんな季節か。

 不意に暑さを感じ、逃げるように男をちらりと見ると蝉を愛おしそうに眺めていた。

 男は俺の視線に全く気が付いていないがまじまじと見つめているのも悪い気がしてくる。

 周囲を見回すと目に付くのは右手の芸能週刊誌。

 雑音を背中に感じながら興味も無いそれを開く。

 ぱらぱらと斜め読みと写真鑑賞を続け、最後の記事で手が止まる。

「ああ。その方、入院していたんですね」

 まだいたのか。

 ため息をつく事もできず、男を見る。

「私、その方のファンなんです」

それは、ある有名歌手が重病に冒されたという記事だった。

彼は、日本人なら知らない人間はいないのではないか、という程有名である。

かくゆう俺も彼のCDを買いに店へ出たこともある。

そうか。

感慨にふける間もなくいつ鳴き止んだかも分からない蝉が再び叫ぶ。

 その蝉の声に気づいてか、男も口を開く。

「さて。私もそろそろいきます」

 帽子を被り、ジャケットの両襟を両手で軽く直す。

 先程と変わらぬ笑みのまま、

「では」

 踵を返して歩き出そうとする。

「あ」

 無意識に俺は声を出してしまった。

 俺の声に男は肩越しに振り向く。

 そして蝉は更に鳴き続ける。

 声を出したが骨を伝っても自分の声は届かず、仕方なく俺は立ち上がり男に近づいた。

「土産にどうぞ。ファンなんでしょう?」

 右手の週刊誌を差し出す。

 驚いた男の顔が近くにあった。

 しばし俺の右手を凝視していたが両手で週刊誌を受け取り、

「ありがとうございます」

 笑顔で会釈をした。

 週刊誌を左脇に抱え、右手で帽子を押さえ再び会釈。

「では」

 今度こそ、彼は歩いていった。

 蝉はもう鳴いていない。







 さて。俺も帰るか。

 伸びをし、彼とは逆の方向へ向く。

「あ、先生!」

 一人の少女が俺めがけて歩いてくる。

彼女は自称俺の弟子。

腐れ縁、というやつだ。

「先生探したよ。稽古の時間になっても帰らないから。一体何してたの?」

「いや、何も」

 口の端を吊り上げると、少女はそれに気づいたのか

「あ、忘れてた。先生が好きだったあの歌手、今亡くなったって。速報がテレビでやってるよ」

 どうやらこの少女はこれを伝えるために俺を探していたようだ。

「ああ」

 そうか。

 俺は背が頭一つ分違う少女の頭を乱暴に撫で、思わず笑みがこぼれてしまった。

「そのニュースなら」

 蝉が小さく鳴いた。

 もうどこで鳴いているかは分からない。

 俺の声は蝉の声にかき消され、少女には届かなかったようだ。

 空はいつの間にか橙を含みはじめ、日の光には翳りがみえ、もうどこにいったか分からない蝉も勢いが失われている。

 俺は少女から手を離し、家路へついた。

 置いていかれた方はくしゃくしゃにされた髪の毛を直しながら急いで追いかけてくる。

 思わず、笑みがこぼれる。

 今度こそ、彼は歩いていった。

 蝉はもう鳴いていない。

「お前は見えるものだけ信じていればいいさ」






―了―
あとがき