First Christmas
「年末まであと5日しかないんだぞ」
今週の初め、毎朝の朝礼で課長が口にしたその一言。
その言葉を皮切りに、年末の追い込みの忙しさが日を追うごとに増していった。
「おい、例の報告書はまだ出せんのか」
「すみません、日数が足りず……」
「至急納品分ができた! 午前中発送できるか」
「今別件で積み込み中の車がいます!」
「……はい。……ええ。その件でしたら担当者から折り返し……」
「……決算の関係で〆日と支払日を……」
「先程の議事録、至急まとめて……」
「明日の打ち合わせの資料を……」
事務所の人間全てが慌しくしている中、私、里香(りか)も例に漏れず一心不乱に仕事を進めていた。
仕事を進めても進めても、全く減った気がしない。
忙しいことを見越して夜が明ける前から仕事に入っていたのだが、いつの間にか日は沈み空には月が煌々と輝いていた。
「ああ……もうこんな時間?」
やっとひと段落がつき、手元の時計を見てみると午後8時。
まだ仕事は残っているため、向かいのコンビニでちょっとした夜食でも調達しようと私は席を立った。
「里香さん、まだいらっしゃったんですか」
鞄を抱えた私の背中に事務所の端から声が掛かった。
この忘年会シーズン、殆ど取引先との接待で飲み会に駆りだされているため、比較的人は少ない。と、いうか私以外に一人しかいなかった。
「木内(きうち)さん、まだ残ってたんですか」
「うーん、どうしても終わらない仕事があって。生憎僕は忘年会の予定ないしね」
木内さん。
今はやりの太い黒縁メガネをいつもかけている私より少し年上のやり手の営業マン。仕事が早いことが定評の木内さんが残業しているのは珍しい。
「それに……」
木内さんはパソコンのキーボードを打っていた手を止め、両肘を突いて手を組んだ。
私からの位置だとメガネの奥の表情が読み取れない。
「今事務所には僕らしかいないんだけど?」
「……関係ありませんよね」
何となく木内さんの言っていることが分かって、私はわざと冷たく答えた。
「ここは会社です。分別をつけないといつかボロが出ますよ」
「僕は皆に知れ渡ってもいいんだけどね。むしろ言いふらしたいくらい」
「…………」
実は私たちは付き合っている。
公私混同を嫌う私は、会社の中では彼との関係を頑なに隠し続けていた。
「ま、そんなことはいいんだけど。里香さんはこれから夜食調達?」
組んだ両手の上に顎を乗せて営業の時に使う笑顔で笑いかける。
「そうです。もうこんな時間ですから。遅くならない内に行ってきます。何かいる物あります? 肉まんくらいだったらおごりますよ?」
財布を彼に見えるように振ってみせた。
「今は公の場だから隠してるとはいえ、仮にも彼女から物をおごってもらうなんて男が廃るからね。何かあったら自分で調達しにいくよ」
広げた手をこちらに向けて首を振った。
彼の行動を確認して、それじゃあ、と扉に手を掛けたとき、
「……あ、出かける前に一つ頼んでいいかな?」
後ろから声が掛かった。
「仕事のお話だったら後がいいんですけど……」
あからさまに嫌な表情で彼を見ると、本人は先程とは違った、とても楽しそうな表情でこちらを見ていた。
「いやいや、仕事の話じゃないよ。ただ一杯あったかいお茶を入れてくれないかな、と思って」
と、冷たくなった自分の湯飲みを控えめに差し出した。
「いいですよ。ちょっと待ってくださいね」
鞄を自分の席に置き、湯飲みを受け取って事務所奥の給湯室へ向かう。
給湯室の引き戸を開けると、テーブルには白い箱が。
私は無性に箱の存在が気になったものの、目的を達成すべくそれを視界の端に見ながらポットの湯を沸かす。
お湯が沸くまでの時間、目の前の白い箱がやっぱり気になり、そっと開けてみる。
「……わぁ……」
思わず呟いてしまったようで、それを待っていたかのように給湯室の引き戸を開ける音がした。戸口に立っていたのは勿論、彼。
「どう、驚いた?」
「……これ、どうしたの……?」
箱の蓋を持ったまま、首だけを彼に向けて訊ねた。
私たちの目線の先には美しくデコレートされたホールケーキがあった。
生クリームで全体を真っ白にコーティングしてあり、上には様々なフルーツが。パウダーシュガーや金粉で仕上げをされた様子は正に冬の情景を写し出していた。
「綺麗……」
ケーキを見たまま、固まる私。
そこに、横から彼が訊ねてきた。
「里香さん、今日何日だっけ?」
「今日? 今日は締めがあったから……25日?」
「何月の?」
「12月の」
「だから?」
「……あ」
そこでようやくこのケーキの意味を知った私はなぜか笑った。
彼も私につられて笑う。
「「メリークリスマス」」
どちらからともなく、声が重なった。