一章 「静かなる覚醒」 弐
「この度はご足労ありがとうございます。会長はただ今執務室にてお二人をお待ちしております。どうぞ、中へ」
緑翠がかじりついていた門扉から少し歩き、通された壁のように巨大な玄関。
玄関を抜けると、そこは別世界だった。
豪華絢爛、そんな言葉では言い表せないほど贅の限りを尽くした調度品の数々は、どれを取っても細部に至るまで細かな細工が施された一級品。
素人目にも分かるその高級さに蒼梧と緑翠は息を飲んだ。
「すごー……」
前を行く二人の黒服の案内人に付いて行きながら周りを見回し、思わず緑翠は呟いた。
蒼梧も初めて見る高級な装飾や調度品に驚きを隠せない様子。
周りの装飾に気を取られ、気が付いた時には前を行く二人は足を止めていた。
「こちらになります」
蒼梧たちの眼前には玄関よりは劣るものの、大きな扉が佇んでいる。
前の二人の内、片方が軽く扉を叩く。
重そうな音が三回響き、間を置いて口を開く。
「失礼致します。お約束の方々がいらっしゃいました」
告げるやいなや、静かに戸の取っ手を握って丁度蒼梧たちが通れるほど開ける。
「どうぞ、お入り下さいませ」
案内人のもう一人が二人に声を掛ける。
蒼梧たちは小さく一礼して、扉をくぐった。
中は白を基調とした、外のきらびやかな装飾とは正反対の簡素な内装。
正面には部屋の壁の一面を全て窓にした大きい窓。
その窓を背にするように蒼梧達の目的の人物が座っている。
「よく来てくれた」
入室してきた蒼梧達に反応して正面の人物は席を立ち、近づいてくる。
逆光でこちらからは顔が判別できないものの、声だけ聞くとそう若くない。
「初めまして、蒼梧と申します」
蒼梧が礼をし、緑翠が立ったままでいる事を横目で確認すると、横から緑翠の頭を鷲掴みにして強制的に頭を下げさせた。
「こちらは緑翠です」
頭を上げ、緑翠を紹介する。
近くまで来ると、正面の人物の顔もはっきりと判別できるようになる。
見た目の年は初老で、四十五から五十程。髪には少し白髪が混じっている。
体格は痩せ型だが、存在感はそれ以上に感じられた。
「ふむ。蒼梧君に、緑翠君か……。覚えておこう。私は桜瀬龍(おうせりゅう)。付近に営業展開している桜瀬グループの会長だ。今日はよろしく頼む」
「よろしくお願い致します」
桜瀬の言葉に疑問符を沢山浮かべる緑翠を尻目に、蒼梧は桜瀬と話を進めていく。
「さて。早速で申し訳ないが、依頼の話に移ってもいいかな? 生憎と、時間に追われていてね」
言い、対面式に置かれているソファに腰掛けるように促す。
「……今回はどのような状況でしょうか」
促されるまま座った二人は、早速話を切り出した。
蒼梧の言葉に桜瀬は少々考え、間を取ってから口を開いた。
「……初めて、おかしいと思ったのは一年前だ」
桜瀬が話を切り出すと、まるで計ったかのように蒼梧と桜瀬の間にそれぞれ資料が置かれ、その横にまだ湯気の立つ湯のみも運ばれてきた。
「その頃は諸事情でこの屋敷にあまり戻っていなかったので詳細は分かりかねるが、この屋敷のある一室に『何か』がいるらしい。それを調べて、必要な処置が必要ならば相応の処置もお願いしたい」
概要を話し終えると、自分の前に置かれた資料をめくる。
「以前今回の依頼の話をそちらに持って行った時にそちらのトップの方に言われ、今回の依頼で必要になってくるだろうと思われる事をまとめておいた。……この屋敷の間取りや、『何か』を目撃した使用人から聞いた情報等……。大方載せてあるが他に分からない事があれば言ってくれ」
「分かりました」
桜瀬と同じく資料をぱらぱらとめくり、内容を確認する。
屋敷の間取りの所で蒼梧の手は止まった。
「間取りの、この印は何でしょう?」
指を差す先には蛍光色の黄色で囲われた一室と、赤色で囲われた一室が目に付く。
桜瀬は蒼梧の指の先を確認した後、自分の資料にも目を遣り、答えた。
「ああ。黄色で囲った部屋は君達の為に用意させた部屋だ。休むなり、話し合うなり、好きに使うといい」
「わざわざありがとうございます。……では、赤は?」
「『何か』がいる部屋だ」
桜瀬の答えに、蒼梧は少々間を取ってから小さく頷いた。
蒼梧の質問が終わったとみた桜瀬は自分の分の資料を近くにいた使用人に手渡し、手を組む。
「……報告はそう急いではいない。数日掛かっても問題無いようにはしてあるが、何か分かり次第順次報告願いたい」
「いえ。本日中にはお答えできそうです」
依頼人の目を正面から見てはっきり答える。
それに桜瀬は相手には分からない程度に少し目を細め、口の端を上げた。
「期待を、しているよ」
桜瀬のその言葉で話の区切りをつけ、控えていた使用人を呼ぶ。
「……それでは、今回用意させた君達の部屋まで案内させよう。自慢ではないがこの屋敷は広い。くれぐれも迷子にはならないでくれ」
屋敷の主は軽く笑いながら案内する使用人と共に退席する蒼梧達を見送った。
「よし」
二人の通った扉が閉じられその場に一人だけになると、桜瀬は席を立ち、先程まで自分が座っていた窓の正面の椅子へ腰掛ける。
「これで、この件は完了だな」
布団一枚程の面積を持つ机に広げられた書類の所定の位置に決められた判を押す。
「会長……」
小さく桜瀬を呼んだのは桜瀬の直属の部下の女性社員。
「あの、今の方たちは一体……? 新入社員にしては少し年が若すぎたように見えたんですが……」
正面に立つ女性社員に、桜瀬は口の端を思い切り上げた。
「あれが新卒にでも見えるか?」
質問を質問で返された女性は少しうろたえる。
「いえ……あまり」
控えめに返された回答に桜瀬は再び手を組み、机に肘をついて手の上に顎を乗せた。
「この世の中も恐ろしいものだな。あんな子供に我が桜瀬グループのトップが頼み事とは……」
独り言にも似た回答は続く。
視界から女性社員を外し、目を伏せた。
その目の先には分厚いとある部門の専門書が積んである。
「超常現象……それは人をも滅する事ができるものか……?」
専門書を手に取り、付箋紙が貼ってあるページを開いた。
そこには遥か昔の神話にも似た話が綴ってある。
「たかが人間に、そんな力が備わっていたとは……」
正面に立つ女性の表情には疑問符ばかりが浮かぶが、桜瀬は気にせず遥か昔の物語に目を通していた。