一章 「静かなる覚醒」 参




 桜瀬に用意された部屋に入って資料を広げる事しばらく。

 緑翠が部屋の内装を一通り眺め、飽きた頃に沈黙を嫌った緑翠が口を開いた。

「どう?」

 対する蒼梧は机に資料を並べ、数枚の紙と睨みあったまま動かない。

「ねえ、いそう?」

 痺れをきらせた緑翠は蒼梧の正面に椅子を運び、座る。

「……いるか、いないかは」

 正面の気配を察したのか、顔を上げた。

 休憩とばかりに首を回し、肩を上げ下げする。

「緑、お前が一番分かるだろう?」

 緑翠の顔をちらりと見ると、少し俯いて唸っている。

「うー……分かるんだけどさ」

 俯いたまま、言いよどむ。

 二人の仕事は通常の人間には干渉することのできないある「もの」に干渉し、時には話し合う事もできる仕事である。

 蒼梧のその力が同じ力を持つ者達に比べて抜きん出ているのに対し、緑翠の力はその「もの」の特殊な気配を察知し、場所や動きなどを捉える事一点に長けていた。

 その「もの」は殆どの人間には霊などと呼ばれているが、蒼梧や彼らの同族達には「怪」という名で霊とは区別して呼ばれている。

「分かるけど……どうした?」

 緑翠の力を知っている蒼梧は訝しげに相方を見た。

 俯いたままの少年は口を尖らせて、うー、と唸るだけ。

「……緑、言わないと分からないぞ。仕事も終わらないし」

「分かってる」

 今度の言葉にはすぐに反応が返ってくる。

 再び蒼梧が同じ言葉で訊ねると、もごもごと口を動かしながらも口を開いた。

「あのね、何となく……何となくだよ?」

 念を押す緑翠の言葉の先が出やすいように相槌を打つ。

「何となく、変な感じがするんだよね。いつもと違う感じ」

「違う?」

「うん。変な感じ」

 抽象的な感想に、蒼梧は眉をひそめる。

 緑翠の「怪」に対する反応は敏感で、どんなに小さな違いでも逃す事が無い。

 それは一緒に行動を共にしている蒼梧も承知の事実。

「どんな風に違う?」

 訊ねても、緑翠は再び首を振るだけ。

「何となくすぎて……本当にいつもと違うのかどうかも分かんない」

「そうか」

 口許に手を当てて、蒼梧は少し考え込む。

 しばらく黙り込み、唐突に小さく頷いた。

「その感覚が気のせいでも何でも今回が初仕事だし、できるだけ用心していよう」

「うーん……。もうちょっとはっきり分かればいいんだけどね」

 少し申し訳なさそうに、蒼梧の手前にある資料を見る。

「ああ、大丈夫だ。それより緑、これ、どう思う?」

 二人の間にある机の上に、桜瀬から受け取った資料を広げる。

「これ?」

 机とは離れて座っていた緑翠はのろのろと蒼梧の方へ寄ってくる。そして目の前に並んでいる紙達を一通り眺めてから、眉間に皺を寄せた

「……こんな文章ばっかり読んでもよく分かんない」

 拗ねるように口を尖らせてから、立ち上がる。

 今までよく動いていた少年特有の大きな目を閉じ、両側のこめかみにそれぞれ手を当てて黙り込んだ。

 蒼梧も何も言わず、緑翠の行動を見届ける。

 すると、無風状態の室内で、緑翠の髪が揺れる。

 下から風が吹き上げるように髪が激しく波打ち、その力は蒼梧まで届いた。

 蒼梧の髪や服も揺らし、突然目を開ける。

「蒼梧……っ」

 緑翠が目を開けた瞬間、二人を揺らしていた力がぴたりと止んだ。

 相棒の呼びかけに一度頷いた蒼梧は目の前に散らばっていた資料をまとめ、綺麗に整頓する。

 乱雑に置いてあった沢山の紙達を一つにまとめると、それを鞄に詰めた。

「どうだ?」

「いた、いたよ。凄く大きい」

 蒼梧に先ほどの屋敷の間取り図を見せるように言うと、受け取って目的の場所に指を差す。

「この部屋、全体が怪だ。それもとっても力が強い」

 怪に対して非常に敏感な緑翠はその力を解放して怪の居場所や詳細を知る事ができる。

 先程緑翠は屋敷内を同様に探り、桜瀬から渡された間取り図の赤く印が打たれた部屋に目的の怪がいると告げた。

「……分かった」

 再び口元へ手をやり、頷く。

「どうする? 行ってみる?」

 緑翠が何やら考え込んでいる蒼梧の顔を覗き込んだ。

 それを見、蒼梧も顔を上げる。

「そうだな。まず実際に行ってみないとな。緑、用心はしていけよ」

「分かった!」

 大きく頷いて立ち上がる。

 部屋の外へ繋がる扉に駆けていく緑翠の背を見ながら、蒼梧もそれに続いた。



*     *     *



「ここ、か? ……ああ、ここだな」

 自問自答をしながら扉を見上げる。

 周りの豪奢な装飾に負けず劣らず大きく、重厚な扉。

 扉の中央には細かい彫り物がされ、専門の職人が長時間かけて丁寧に作り上げられた事が分かる。

「中の様子はどうだ?」

 扉の前に立ち、緑翠を仰ぐ。

 目線の先の緑翠は一つ頷き、細かな装飾が施された扉に触れた。

「…………」

 しばしの間沈黙が流れた。

 呼吸三つ程の間、たっぷり黙り込んでいた緑翠は不意に顔を上げて蒼梧を振り返る。

「うーん、いるけど……」

「けど?」

 言葉を濁す緑翠に、首をかしげる。

「やっぱり凄く大きい怪に間違いないよ。でも何て言うか、寝てる……みたい」

「寝てる?」

 おうむ返しに訊ねると、肝心の緑翠も自分で発した言葉の真意を理解していないようで、小さく唸るのみ。

「うーん、何て言えばいいんだろ……。ここに確かに気配はあって、いるんだけど……活動してないって言うのかな。いるだけ? うん、いるだけ」

 自分の感じた感覚に当たる言葉が見つからず、思いついた単語を並べていくが、本人にとっては更に思考を混乱させるだけとなった。

 考えた末、最終的に出てきた答えが。

「ここにいるだけ」

 となった。

 蒼梧も一連の緑翠の行動と言動を見守っていたものの、本人も理解していない緑翠の言葉の真意が掴めず、無言で頷くだけ。

「いるだけ」

 繰り返し言葉を発する緑翠に蒼梧はもう一度頷く。

「……いるだけ、か」

 緑翠が悩んでいた間全く言葉を発しなかった蒼梧がやっと口を開く。

 自分の真意を理解したのかと目を輝かせて蒼梧の次の言葉を待った。

「よく分からんが、ここにいる事は間違いないんだな?」

 目の前の扉を仰ぎ、眉間に皴を寄せて訊ねる。

「うん、いるよ。間違いなく」

 頷いた少年を見てから、三度頷いて再び言葉を継ぐ。

「まずは様子を見よう。緑、その部屋……」

 目線を緑翠に移した。

 その瞬間。

 緑翠の触れていた扉が何の前触れも無く開く。

 扉に触れていた緑翠は支えを失い、扉の方へたたらを踏む。

 緑翠によれば、その扉の向こうには二人の目的の怪が間違いなくいる場所。

 開いた扉の先にはこの屋敷の部屋が続いているはずだが、蒼梧の目からはその向こうは昼間にも関わらず異様な暗い闇が続いているように見えた。

「りょ……」

 名を呼び支えようと手を伸ばすが、一歩及ばず蒼梧の右手は空を切る。

 右手の先では緑翠が上半身から異様な暗闇の中へ入っていく様子が酷くゆっくりと流れていった。

 たたらを踏んだ緑翠の右足は扉の敷板にもつまずき、転ぶようにして部屋の中へ入っていく。

 緑翠の姿は部屋の中へ入ると同時に暗闇に飲み込まれ、見えなくなる。

 案じた蒼梧は緑翠を追って人一人分程開いた扉へと歩を進めるが、すんでの所で扉は勝手に閉じてしまった。

 何かの力によって閉じてしまった扉にぶつかるようにして扉の取っ手に手を掛け、動かそうと試みるものの、取っ手は全く動かない。

「……くそっ」

 思わず悪態をつくが、それをぶつける相手は今この場にはいない。

 届かない言葉に代わって扉に向かって右手の拳をぶつける。

 何者かの力に支配されているであろうこの部屋と扉。

 蒼梧は苦々しく扉を睨みつけた。 





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