ようこそ、大空観光へ



 大空観光社のゴンドラの回送車はそれ専用に設けられたドックへと向かう。そこで、毎日の点検や清掃が行われる。

 勿論、大空観光社の従業員であるハヤブサ達もゴンドラと一緒にドックへ帰還する。

 ハヤブサと運転士の鳥系亜人を乗せたゴンドラは滑り込むようにドックへと侵入し、静かに指定の場所に停車。

 油圧で金属が動く音が響き、乗客用のドアが開かれた。そこから顔を出したハヤブサはタラップから文字通り飛ぶように降車し、着地する。

「あー……終わった! お疲れ、運転士さん」

 背伸びをして、まだ中に残る運転士に声を掛けると、添乗員専用の扉をくぐる。

 長く伸びる少し薄暗い螺旋階段を下りた先には明るい地上の景色が広がっていた。

 緑溢れる庭園、丁寧に手入れが施された花々の間には人がゆったりと通れるほどの遊歩道があり、その中心には小さな噴水まである。

 豪華絢爛、まではいかないが、それなりに豪勢な庭園はハヤブサが勤める大空観光社の保有する社内庭園である。

 ハヤブサ達鳥人は種族性のようなもので閉鎖的な空間をあまり好まない。そこで、鳥系亜人である大空観光社社長御自ら庭園を作り社員に開放している。

 鳥人も、鳥系亜人と同じ力で飛ぶことができる。その為昼の時間となると、気晴らしに辺りを飛び回る社員も見られるほど社員の中で人気がある庭園だ。

 それなりに広さのあるこの庭園をいつもはハヤブサも飛んで移動するが、この日は歩いてのんびりと季節の草花の香りを楽しむ。

「オヤオヤ」

 草花に見惚れ、いつの間にか足を止めていたハヤブサの耳に声が響く。

 もしかしてこの花が、と訝しげに花を眺めるが、反応は無い。

 かつん、と遊歩道の石畳を踏む音が響き、そこで初めてハヤブサは自分以外の存在を認識した。

「こんな所で会うなんて偶然ですね」

「……タカ」

 タカと呼ばれた男はにこりと笑い掛ける。

 タカはハヤブサの幼馴染で、社内の関係でも同期にあたる。仕事もハヤブサと同じ添乗員で、勿論ハヤブサと同じ鳥人の種族の為背中には羽が生えている。男性にしては珍しく顎のラインまでに切り揃えられた髪を持ち、更に鳥人にしては稀ではあるが視力が生まれつき弱く、常に眼鏡を掛けている。

「どうしたんです? 今日は残業ですか?」

「今終わったとこ」

 タカがハヤブサの隣に並ぶ。タカよりも若干背の低いハヤブサは目線を上げなければ彼の顔を見る事ができない。

 どちらからともなく歩き出し、二人は共に並んだまま庭園を抜ける。

「タカこそ」

 目線を上げたまま、ぽつりと言う。

 一度では聞き取れなかったのか、表情に疑問符を携えてハヤブサを振り返る。

 自分に向いた視線で言わんとしていることを感じ取り、「ああ」と頷いた。

「僕も、ハヤブサと同じですよ」

 再び笑いかける。

 ハヤブサは「そう」と一度頷いたが、すぐ前を向いてしまった。

 庭園を抜けた先には、巨大な「大空観光社」の本社建物がある。その奥には、「大空観光社」の広大な敷地面積の三分の一を占める社員宿舎区域が広がっている。社員の殆どが社員宿舎に居住しており、ハヤブサとタカも例に漏れずここに住んでいる。

 本社建物の入り口付近で止まったタカは、その先の宿舎専用通路を視界に入れながらハヤブサの方を振り向いた。

「ハヤブサ、これから宿舎へ帰るのなら一緒に……」

 振り向いた先には、いるはずのハヤブサはおらず。

 見えるのは本社建物に入ろうとしているハヤブサの姿。

「ハヤブサ!?」

 驚き、目的の相手の名前を呼んだものの、時既に遅し。

 自動式のドアはハヤブサを飲み込んで静かに閉じられた。

「…………」

 まっすぐにドアに向けられたタカの右手は、何も掴むものも無く空しく空を切った。

 しばらくそのままの状態で、前に突き出した右手の掌を開いたり握ったりを繰り返していると、小さな笑い声が聞こえてきた。

 音源は背の高い女性。

 背中に羽が生えている所を見ると、タカと同じく鳥人と分かる。

 最初は声を押し殺して笑っていたものの、周りに人がいないと見ると徐々に高笑いに近くなっていった。

 タカの位置からでは、女性の表情は彼女の頭に乗せられたキャスケットで窺い知ることができないが、相当笑っているようだ。

「ハトさん……」

 彼女の名を呼ぶも、ハトは応答ができないほど笑い続けている。

 近くまで歩み寄り、もう一度、今度は先程より強い口調で呼びかける。

「ああ、タカー」

 やっと気が付いたのか、笑いの涙で潤んだ瞳をタカへと向ける。

 まだ大笑いの余韻が残る表情でタカを見、まだ震える肩を必死で抑えていた。

「まさか、見ていたんですか」

 タカの言葉に、悪びれも無く再び笑い出す。

「当たり前だ、メガネ。どんな断り方されてんだよお前は」

 透き通った瞳、整った鼻筋。見目は美しいものの、その唇から放たれるのは甘い言葉などではない。洗練された辛辣な単語の数々が油断した相手に容赦なく降り注ぐだけだ。

 ハトはやっと落ち着いたのか、「あー面白かった」と大きく息をつく。

「め……っ!? いつもあれほどその呼び名は止めてくださいと……」

「うるっさい。今はその話じゃないだろ」

 言い、ハトは胸を張る。

 ただでさえ、男であるタカはハトの持つその豊かな胸にいつも目のやり場に困っているのだが、今回も目を逸らしてしまった。

「聞けメガネ。大体なぁ、男として女の子と一緒に帰るくらいできなくでどうする? それも、昨日今日会った女の子と一緒になれって言ってるわけじゃないんだ。相手はハヤブサだ、ハヤブサ」

「わ、分かってますよ」

 ハトは近くにあったベンチにタカを座らせ、自身も腰を据えた。

 ちらりとタカの顔を見、ため息をついてからキャスケットの下の頭を乱暴に掻く。

「ったく。あーもー面倒くせえ。早くくっ付いちまえよ。何年だ、お前ら?」

「物心ついたころには一緒にいましたから。結構長いです」

 タカの言葉に反応し、常に鋭い視線が更に鋭くなり、タカを刺した。

「『長いです』じゃねぇんだよメガネぇー。進まなかったら意味が無いんだぞ?」

「分かってます、分かってます……けど」

 思わず、目を伏せる。そして口を閉じる。

 足を組み、ベンチの背もたれに完全に体重を預けていたハトは目だけで隣のタカを見た。

「……何か悩んでんのか、少年。この姐さんが聞いてあげようじゃないか」

 先程の大笑いしていた時とは一転、瞳にしっかりとした光が宿る。

 そんなハトを見て、タカは口を開いた。





   *   *   *





――どうしてかなあー……。

 自動ドアをくぐり、自分の部署のデスクに向かうまでの道中、ハヤブサはその一言だけを頭の中で反復していた。

 ドアのすぐ傍にはエレベーター。無意識的にそこへ向かう。

――わたしは宿舎に帰ろうとしてたんだよね。

 エレベーターの「上」ボタンを押し、再び物思いに耽る。

――でも、いたんだ。タカが。

 小気味良い金属音が小さく響き、扉の上に表示されている「1F」という文字が赤く光った。

 すぐに扉は開き、数人降りる乗客を待ってから自分も乗る。

――どうして。

 「4F」のボタンを押し、一人扉が閉まるのを待つ。

――どうしてなのかな……。

 金属製の扉は待たずして閉まり、自身の力で浮遊するとはまた違った浮遊感がハヤブサを襲った。

――どうして、私は……嬉しかったんだろう。

 目的の階数より手前でエレベーターは止まり、違う乗客が乗ってくる。

 思考は完全に寸断され、無心でただ浮遊感をかみ締めた。

 「4F」の表示が光り、扉が開く。

 エレベーターを降りると、再び思考が溢れてきた。

――そう。わたしは嬉しかったんだ……。

 毎日通っている通路を通過している間も思考は止まらない。

――何に対して?

 添乗員デスクがある部屋の戸を開け、自分の席へ向かう。

 仕舞ってある椅子を引き、腰掛けた。

 ここまで来たのだから今回のツアーの報告書でも書こうかと、引き出しから羽ペンとインクを取り出し、無造作に羽ペンの芯を墨に浸す。少しペン先を持ち上げると、吸収しきれなかったインクがぽとりとインク壷の中に落ちた。

 漆黒の中に落ちた漆黒を眺め、更にペン先で墨をかき混ぜる。

――嬉しい。何が? タカに会えたことが……

 紙の上に持ち上げられた羽ペンの拭いきれなかった雫が、真っ白な紙に漆黒の穴を開けた。

――……でも……。









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